田母神「作文」問題に思う
もう呆れるほかない。いや、呆れるだけで済む話ならそれでいいのだが、それで済まないところが問題なわけで。どうしてこんな人物が今まで野放しで、空自のトップにまで登り詰めることができたのか、それが問題だ。
参考人質疑終了後に、こう言ったらしい。「村山談話の正体が、本日分かった。村山談話は言論弾圧の道具だ。自由な言論を闘わせることができないならば、日本は北朝鮮と同じだ」
はっきり言って、現代の軍隊において、軍人に政治的な発言を許す方がおかしい。「北朝鮮と同じ」と田母神氏は好んで言うが、この点については「米国とも同じ」だ。思想の自由はあるが、国から給料をもらって制服を着ている限り、政治に口を出す自由などない。政治的な意志を持った軍隊がどれだけ危険かは、戦前の日本や、現代の一部諸国を見れば分かる。
ただ北朝鮮とは違って、辞職して民間人になれば、いくらでも政府批判は自由にできる。「言いたいことがあれば、辞めてから言え」というのが筋。結局最後まで辞職せずに、国から退職金までもらっておいて、「政府なんて関係ねぇ」「裁判所も関係ねぇ」では、「甘えるな」としか言いようがない。
それにしても、この種の人間はどうして「過去の歴史を美化しないと、自国に誇りを持てなくなる」と考えてしまうのだろう。「過去の過ちを反省する」ことと、「自国の歴史や伝統に誇りを持つ」ことは全くの別物だろう。むしろ俺は、過ちをきちんと認める国にこそ、より誇りを覚える。
生まれたときから、中国や韓国に「謝罪しろ」と言われ続けている若い世代が中韓に反発を覚えるのは分かるが、それは戦後処理をきちんとしてこなかった過去の政権が批判されるべきことだ。ヤフーニュースのコメント欄を埋め尽くす”ネット右翼”の書き込みを見ると、問題の根深さを感じる。
ことは田母神氏一人の問題ではないのだ。