すっかり田母神問題は沈静化してしまったが、もうちょっと考えてみたい。
あの「作文」については、とても300万円の価値があるとは思えない「駄作」であることは間違いない。選考方法が公正だったかについても、疑惑が出ている(アパ代表だけが最初から”作者”を知っていて、田母神作文に最高点を付けた)。出来レースと言われても仕方がない。
しかし問題はそんなことではない。より重要なのは、田母神氏の作文に全くオリジナリティがないことだ。つまり裏を返せば、田母神氏は特異な存在ではなくて、そういう主張が日本には普遍的に存在しているということだ。あの作文は、そういった説を適当にまとめただけに過ぎない。今後も、同様の価値観を持った人間が出て、一定の支持を集めるだろう。
田母神的な思想の根っこにあるのは、「日本はいつまで謝り続けなければならないんだ!」という苛立ちではないだろうか。
そのことを考える前に、ここで1つ例を出したい。不祥事の際の対応についてだ。
船場吉兆は、もっとも「してはいけない」方法をとった。パート従業員に責任を押しつけたり、夫の社長が退任するかわりに、妻である女将が新社長に就任したり。こういった「身内をかばう」という姿勢は、「全く反省していない」と受け取られる。また、不祥事が次から次へと小出しに明らかになったのも最悪だ。最初の時点で、不祥事は全て公表して、ウミを出し切るべきだった。その結果が廃業である。
対称的に、理想的な対応としてあげたいのは松下電器産業(現パナソニック)だ。一酸化炭素中毒事故を起こした製品について、テレビCM、新聞広告などで何度も点検を呼びかけたほか、全家庭にハガキを送るという思い切った手段も使った。メーカーである以上、問題のある製品が出ることは避けられないことだが、対応のポイントとなるのは、消費者に「何もそこまでしなくても」と思ってもらうことだろう。逆に言えば、そこまで費用・時間をかけなければならないということだ。
ちなみに、同社は社名を変えた現在でも、WEBのトップページには、この件に関するお知らせをいまだに掲載し続けている。
日本の戦後処理というのは、船場吉兆の例に似ていないだろうか。迷惑をかけたアジア諸国の民衆に「何もそこまでしなくても」と思ってもらえただろうか。
戦後の日本は経済復興を優先させ、戦争責任を明確にしてこなかった。ドイツとは対称的だ。
最近の歴代首相を見ても、森、小泉、安倍と来て、福田は少し違うにしても、今度は麻生だ。口を揃えて「村山談話を踏襲する」とは言うが、自分の言葉で語っていない。各氏とも、首相就任前の発言などを見れば、「本当はそう思ってないんでしょ」と思うのが自然というものだ。本来ならば、戦争への反省くらい、もっと踏み込んで発言すべきなのだ。「いつまで謝らせる気なんだ」などと言うのは筋違いというものだろう。
ただ、外国の側にも問題がないわけではない。特に中国。
中国で反日感情が特に強いのは、戦後の反日教育に問題があるのは間違いない。外部に「敵」を作ることは、独裁国家では有効な手段だ。おそらく、中国共産党も当初は体制維持のために利用していたのだと思う。しかし、ネット世論の過激化、都市での反日暴動などの「弊害」も出てくるにつれ、実際のところ、少し手を焼いているのではないだろうか。
もはや共産党も、世論を無視して政策を実行することはできない。ここでいきなり反日教育を中止するわけにもいいかないだろう。では、どうしたら関係を改善できるのだろうか?
それにはやはり、今一度、戦争責任を明確にするしかないだろう。空自のトップが「濡れ衣だった」などと寝ぼけたことを言い出すようでは話にならない。今から思えば、戦後50年という区切りが1つのチャンスだったと思うが、今さら調査委員会のようなものも作れないので、日中共同で歴史教科書を作るような試みも1つの手かもしれない。
また日本も、田母神的な思想を出さないようにするために、きちんと近現代史を学校で教える必要があるだろう。私の小学校・中学校時代では、世界史でも日本史でも、いつも最後の方は時間がなくて、ほとんど省略されていた覚えがある。むしろ授業では、近現代史から始めるくらいでいいと思う。
中国の反日教育が改善され、なおかつ日本も戦争についてもっとしっかり教えるようになれば、そういった世代が主流になる4~50年後くらいには、関係が改善できるだろう。気が長い話だが、そのくらいの時間をかけないと何とかならないくらい、この問題は根が深い。国は人が造る。教育は本当に重要だと思う。